1953-02-23 第15回国会 参議院 水産・法務・外務連合委員会 第1号
当時この昌運丸船上には兵隊らしき服を着た者が五、六名自動小銃で狙撃いたしておりましたが、我々は一心に遁走しましたが、八時十五分頃僚船第二大邦丸が拿捕されておりましたが、私たち第一大邦丸はそのまま逃走しておりましたが、操舵室附近に命中弾が余り烈しかつたので遁走を断念して停止しました。このときに昌運丸は本船に接近して来て「翰林に行け」と日本語で言いました。
当時この昌運丸船上には兵隊らしき服を着た者が五、六名自動小銃で狙撃いたしておりましたが、我々は一心に遁走しましたが、八時十五分頃僚船第二大邦丸が拿捕されておりましたが、私たち第一大邦丸はそのまま逃走しておりましたが、操舵室附近に命中弾が余り烈しかつたので遁走を断念して停止しました。このときに昌運丸は本船に接近して来て「翰林に行け」と日本語で言いました。
また向うの第一、第二昌運丸の船長の証言によりますところの調書を読んで聞かされましたが、約六十メートルの距離で停船命令を何回も発したというようなことを申しておりましたが、あのときの状態は時化模様でありましたし、機械も相当高い音をたてておりました関係上、六十メートルというようなところから発射された何は聞こえないと思いましたし、誰も聞いておりません。
○証人(加藤喜八郎君) 昌運丸の写真は船長から協会を通じて出されましたのでお手許のほうへ、先ほどそこへ差上げてありますが、それを御覧願いたいと思います。
今回日本の船を拿捕いたしましたる韓国の第二昌運丸という船は、もともと福岡県の船であつて、日本の船である。それを日本から取上げまして、今度はそれを拿捕用に向うで使用しているのである。かくのごとき暴挙にわれわれが屈従して、あつけらかんと見ておるということになれば、愛国心の高揚も、独立国の誇りもあつたものではないのであります。(拍手)従つて、彼らは、この次には対馬をよこせと出るに相違いないと思う。
それから警察の倉庫番、これは従前に林兼に勤務したことがあるもののようでありますが、その人の話によりますと、前日すなわち二月の三日の日に、この拿捕しました昌運丸が、二十時――午後の八時でありますが、翰林港に入港して密告をした由であります。